あなたの街の素敵な女性たちを一人ずつご紹介しています。

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2015年04月10日

河村 純子さん/河村能舞台

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能はOH NO?

「能をご覧になったことありますか?」
「ではその時 不覚にも眠ってしもたわぁという方はいらっしゃいますか?」
大丈夫ですよ。能を見ていて眠くなって来た時、皆さんの脳からはアルファー波が出ていると言われています。研究者の中には微量だが成長ホルモンに似たものもという方も。まぁこれは若干眉唾だとしても
能を見て寝ると意外にリラックス効果があるのではと私も思っています。とてもとても贅沢なお昼寝。但し静かに御休み下さいね。間違ってもガーグーというイビキだけはかかれませんように。ご本人はリラックスしても終了後、周囲の方達から冷たぁい目で見られ一遍にストレスたまりますからね。

さて左程に能=難しい、退屈やと思われている能ですが、確かに難しくて眠くなるような部分もあります。私も幾度となく眠ったこともございます。何と言っても650年前と基本的には同じ台本を使っているのですから。高校生の時習った古文漢文の世界です。勉強と思うとしんどいと思われるかもしれませんがその文章は錦のつづれ織りと言われるように古今の様々な美しい和歌、文章、言葉がこれでもかこれでもかとてんこ盛りにされています。
この時期、私はゴルフに行き霞む山々を見ると自然に「春霞たなびきにけり久方の。月の桂の花や咲く。げに花葛色めくは春のしるしかや」と口ずさんでしまいます。もっとも今の春霞はPM2.5かもしれませんが。

結婚式でおなじみの「高砂やこの浦船に漕ぎ出でて」を聞くと意味は分からずとも何とのう目出度い気分になるし、私どもの世界でお葬式や追善の時よく謡われる融の「影かたむきて明方の。雲となり雨となる。この光陰に誘はれて。月の都に。入りたまふよそほひあら名殘惜しの面影や名残惜しの面影」等を聞くと本当にしんみりとした心持になります。
名文名句はいつの間にか知らず知らずに心に沁みてきます。理解する、わかるではなく美しいものを感じる世界に子供の時分から触れさせたいものです。


世阿弥は 元祖日本のアイドル!

能を大成したと言われる観阿弥世阿弥。親子セットで覚えている方が多いと思いますが、この世阿弥、絶世の美少年だったと言われています。ご存じでしたか?
その美少年の名はなんと「鬼夜叉」! これって私は観阿弥パパの戦略?と勘繰りたくなります。だって見ただけで倒れてしまいそうになる(私ではなくちゃんと書いてあるのです)美貌の少年の名前が鬼夜叉!誰でも忘れないですよね。忘れないどころかうわさ好きの京雀たちはきっとあちこちで噂し合ったに違いありません。広報宣伝ですね。
しかも彼は 蹴鞠にも和歌 連歌にも堪能。当時の最高の文化人にして政治家の二条良基をして只者ではない少年と言わせているのですから。その後鬼夜叉ちゃんは良基から「藤若」という名前まで貰っています。まあ義満が贔屓にしたのも無理からぬことかと。
世阿弥は正しく元祖日本のアイドル少年。室町時代のスーパースターだったのです。
謡って舞って(うちの世界では歌って踊るとは言いません。謡う、舞うです)作詞作曲、振り付けも出来、芸術論などの作家活動も行い21歳で父の観阿弥が亡くなると一座を率いるトップになったのです。
今で言うと 嵐の松潤がタレント活動をしジャニーズ事務所経営しながら作家活動も監督もという感じでしょうか?もし世阿弥が今の時代に生まれていたら、凄いスーパースターかカリスマ経営者になっていたはずです。残念。見たかったわぁ。私 きっと追っかけしてました。

しかも世阿弥が更に凄い人やなと感じるのは、能の作品の中には人間だけでなく植物の精、例えば桜 柳 梅等。或は 昆虫である松虫。鳥の鷺が主人公の曲などが結構あるということです。
ディズニーのアニメならいざ知らず、こんなに人間以外のものが主人公の演劇はないと思います。今でこそ「地球にやさしく」とか「人間だけが地球の主人公でない」という考え方は普通になっていますが世阿弥は650年前に既にそういう風に感じていたということなのでしょう。益々凄い。環境科学者になってたかも。うーん理系は無理か。

もう一つ、能の主人公には皆さんもよくご存じの歴史上の人物が数多く登場します。
例えば源氏と言えば 頼朝 義経が圧倒的に有名ですし 平家と言えばすぐ浮かぶのは清盛ですよね。しかし 頼朝 清盛が主人公の曲は能には存在しないのです。負けた方の義経。平家の若くして西海に散った清盛 経正 敦盛 知盛などが主人公の曲はたくさんあります。
つまり世阿弥は弱者の視点に立っていたということになります。
思いやりある人柄だったんでしょうね。見目麗しく、成績優秀、人柄も良い、きっとモテモテだったに違いありません。


能は死者の声を聴く

能の主人公には 多くの死者が出てきます。能はこの世に思いを残して亡くなった人たちが今生きている私たちに自分の過去を語りに来るのです。
辛かった思い出や楽しかった華やかな過去。それらを舞台で語ることで死者は安心してあの世にまた帰って行くのです。
亡くなった人のことを誰かが覚えている限り死者は生き続けると言います。能の舞台は鎮魂作用そのものです。
能という形は古いのですが この形を使えば 例えば東北の震災や津波で亡くなった方々の想いを能という形にすることで聴くこともできるのです。
伝統とは過去のものではなく今も生き続けることであり こういう形で再生され受け継がれて行くものだと思います。


能楽おもしろ講座について

私は「能楽おもしろ講座」という参加体験型のワークショップを平成8年に始めました。
当時は主人も元気で活躍していましたのでサポートするような形だったのですが主人が食道癌で亡くなり、仕事ということを意識するようになりました。
当初は年に2、3件だったものが昨年末は227件34300人、延べ人数にすると今までに27万余りの方に参加して頂きました。
お蔭さまで9割はリピーターの学校です。一般の方たちも、一度来て頂いた方が次の方を紹介してくださったりと営業マンがいるわけでもなく一人でやっていますので本当に口コミは有難いと心から感謝しています。私どもの世界はほとんどが男性です。しかも多分かなり保守的な世界です。一人では絶対に出来ない仕事なのです。
仕事を下さる方、来て頂くお客様、出演して下さる方々。そして亡くなった主人や主人の両親のお蔭です。有難いという言葉を主人が存命中から使っていましたが、この言葉の重みをつくづくと感じています。私はあの世に行った時に「頑張ったね。よくやったね」と言われたいと思って頑張っています。

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そして、この講座はいわばデパ地下のご試食版です。
不味いと思っていても店員さんに勧められ試食したら意外に美味しかったという経験は何方にもあると思います。
修学旅行などで来る中学生の多くは、不味い、つまり能は面白くないに決まっていると思って来ます。彼らに終わってから「チョー面白かった。楽しかった。」と思ってもらえば将来、日本の文化や歴史に興味を持ったり、日本人とはと考えることで、真のグローバルとはと考えるきっかけにもなります。
多くの感想文やお手紙が送られて来ますが「日本人であることを誇りに思った」「帰宅して両親や祖父母と話をした」「道具を大切にしようと思った」「受験や部活について考えるきっかけになった」「海外の人にもっとこのような日本の文化を広めてほしい」「日本や世界について考えるきっかけになった」等と嬉しい感想を述べてくれています。
これらは今や私の宝物です。

伝統というと同じことをしていると勘違いしている方がいらっしゃいますが、変化し続けているからこそ続いているのです。
ダーウィンが進化論の中で「生き残るものは強いものや賢いものではない。変化に対応できるものだけが生き残っていける」と言っているのと同じです。
生徒達はこれからかつてない変化の時代を生きていかなければなりません。この「能楽おもしろ講座」を体験することで彼らが日本人としてのアイデンティティーや誇りや志を持って前に進むきっかけの一つになって欲しいと毎回願っています。
そして 私も 今生きているこの時代より少しでも良い時代を創っていきたいと思っています。一人一人が目の前にあるやらなければならないことを一生懸命やることこそが
目の前のドアを開けてくれると信じています。

投稿者 green_heart : 10:39 | コメント (0)