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2011年04月15日
榊原 節子さん/ファイナンシャルアドバイザー・ライフスタイルアドバイザー
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私のお忙し人生
私はおとなしく静かだったそうだが、えらく独立心の強い子供に生れついたらしい。
最初の自転車も中学生になったとき自分で買った。小遣いで足りない分は、利用権をエサに兄からファイナンスを受けた。勿論きちんと返済した。最初のクルマは中古だったが大学生の時やはり自分のお金で購入した。そのためによくアルバイトをした。帰国子女でもないのにお医者さんに英語を教え、専門用語もろくに知らないのに医学論文の訂正までした。特許事務所では殆どできないフランス語で書かれた特許の翻訳までした。今から考えると汗顔の至りだが、本人が出来ると信じているので、ついつい周りの人も騙されてしまう。
大学二年のとき海外留学を思いついた。しかし嫌いな勉強は早く済ませたい。それでチエを振り絞り、一度退学をして海外の大学に編入し、また退学して大学に再入学し、4年間で卒業させてもらう交渉をした。留学先が良い大学であること、少なくともCを取ることという条件付きで話がついた。米国最古の女子大に応募し、なんとか一年分の授業料と寄宿費のついた奨学金をもらい、またアルバイトにも励んで一年分の小遣いを稼いだ。船賃は両親に出してもらったが、帰りはまたニューヨークで働き、荷物の運送費を工面した。
こうした経験がその後の各種プロジェクトの仕組み作りに役立っている。なにかやりたい事、或いはテーマがあるとそれをどう実現するか考えぬき、なんとか案をつくり、そして関係者を説得する。これが基本だ。
1966年、卒業と同時に就職、株式投資を始めた。爾来40年強の投資歴である。24歳のとき不動産投資を思いつき、入札して50坪ほどの土地を手に入れた。資金は銀行から借りた(勿論親が保証をしてくれたのだろう)。周旋やさんも将来有望と見込んだのか、斡旋料をまけてくれ、おまけに不動産取引の本を沢山貸してくれた。
普通の母親ならたしなめるところだろうが、私の母は、「面白そうね、私も一口乗るわ」と、便乗して自分の分と姉の分まで出資をした。今から考えると姉は買ってもらったのに、何で私は自分のお金だったのかと思うが、当時はひたすら自力で買えた事が嬉しかった。何年もかかったが、銀行への支払いも完済した。
私はまた職業もよく変えた。大学卒業後まずプリンスホテルチェーンの海外宣伝の
仕事につき、ついで外国特派員の助手、次に教材も自分で作って英語教室を開き、その次の十年は国際会議の同時通訳をやった。その後証券会社で企業買収を手掛け、1991年自ら国際投資コンサルティング会社を設立し経営を始めた。これらの経験をもとに出版した本は7冊になった。結婚し、子育てもしていたからいつも綱渡り状態でいつも忙しかった。
仕事の最前線からは十年ほど前に身を退いたが、健康や美容関連の仕事は続行している。企業買収のときの担当が医薬品・化粧品だったこと、また義理の父親が榊原仟(日本の心臓外科のパイオニア)だった関係から各種プロジェクトにかかわってきた。現在も、発足したばかりだが国際美健ネットワークの副会長、その他の団体の役員として健康関連のテクノロジー、食品、化粧品、癒し系グッズなどの普及、海外進出の手伝いをしている。特に中国からの引き合いがすごい。
最近は「加齢の問題」に興味を持ち、研究した結果を『凛としたシニア─「ああいい人生だった」と思えるように』という本にまとめた。それで私の講演の題目に「ハッピーエイジング─より幸せに、より健康に、より豊かに」が加わった。
こう書くと非常に活発な人間のように思われるかもしれないが、自分では孤独癖があり、「自分は何のために生まれてきたかなど一人で静かに考えているのが一番好き」な変人と思っている。「なんでこうも忙しく駆けずりまわってきたのか」と今真剣に考えている次第であります。(詳しくは拙書『セレブのルール』(ディスカヴァー21)をご覧ください)
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榊原節子
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